2021年10月17日 (日)

播磨・淡路の城郭絵図特集ー『歴史と神戸』348号を発行しました

60巻5号/歴史と神戸/もくじ

特集・兵庫の城郭絵図研究(播磨・淡路編)―荻原一青の再評価
明石城と荻原一青画「播磨明石城図」………………宮本  博(1)
  ―元絵図と参照資料の検討―
荻原一青の描いた「播磨龍野城之図」………………岸本 道昭(12)
姫路城・赤穂城・林田陣屋
 荻原一青の描いた城郭絵図…………………………堀田 浩之(19)
荻原一青書写による洲本城絵図について……………定本 義広(32)
荻原一青の遺した城郭関連図…………………………大国 正美(46)
口絵の「播磨国姫路城図」について………………………………………編集部(45)
残暑お見舞い申し上げます……………………………………………(49)
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表紙・藤田年男

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荻原一青画「播磨国姫路城図」(本文は45ページ)

 

編集後記

 四月号に続き荻原一青氏の遺した城郭絵図のうち播磨と淡路の城を取り上げた▼宮本さんは明石城の「荻原図」は、島田清著『明石城』の収録図を基礎図として同書の他の図で細部を補い現地踏査も踏まえ加筆したと制作過程を想定▼岸本さんは荻原一青は二種類の「龍野城図」を合体させて「荻原龍野城図」を完成させたとする▼荻原の「姫路城下図」の原図は、「姫路神社蔵図ヨリ作図」とあるが現在所在不明。堀田さんは姫路市立城郭研究室蔵の「姫路侍屋敷図」と同じか同系と判断。「播州赤穂刈屋城図」の元となった典拠資料については特定できないとする。「林田陣屋図」の原図も不明だ▼洲本城について「上の城」「下の城」の二つの絵図を描いているが、定本さんはともに原図は所在不明とし、蜂須賀家文書の様々な洲本城絵図と比較する▼荻原一青の城郭絵図は鳥瞰図ばかりが有名だが、縄張図など一三七点が遺族の手元で保存されている。その全リストと特徴も示した(大国)

 

2021年8月18日 (水)

『歴史と神戸』347号を発行しました

60巻4号/歴史と神戸/もくじ
特集・史料から読み解くひょうご近世史
谷文晁の「笠置山」について…………………………柴田 昭彦(1)
播磨国加古郡にみる近世の水論・地論………………伊賀なほゑ(10)
   ―加古郡大西二男家文書を通して―
   
尾芝静所著『静所一夜百首』について………………三枝 正平(28)
   ―静所詩の鑑賞を中心にして―
   
メキシコドル ロマン…………………………………竹村 勝昌(40)
   ――太平洋循環航路の発見――

【地域から】気になる一冊『山本真蔵日記』
アナール学派の視点で網干の近代を読む……………増田 行雄(47)
暑中お見舞い申し上げます…………………………………………………(53)
『歴史と神戸』の原稿を募集しています………………………………………(52)
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新聞地域版(46、56)  新入会員紹介(27) 
表紙・藤田年男


編集後記

 江戸時代の絵師、谷文晁の『日本名山図会』の「笠置山在播磨州」は、京都府の笠置山と兵庫県の笠形山の二つの解釈がある。柴田さんはカシミールの画像で、描画地点をJR播但線溝口駅の北北西九〇〇㍍の標高一四〇㍍地点(姫路市香寺町溝口)と特定▼伊賀さんは下西条村と新井郷との水論、隣村中西条村との地論から、近世争論を論じた。明治初期の取水取り決めに発展、地境訴訟は両村にしこりを残し、現在の境目に影響を与えたという▼三枝さんは加西郡出身の江戸後期の詩人の著書『静所一夜百首』を鑑賞。心の奥深い琴線に届く、良質の詩と評価▼江戸幕府は開港で貿易決済にメキシコドルを使った。日本と外交のない途上国のメキシコドルはなぜ交易に使われたのか。竹村さんが解き明かす▼増田さんは長波・中波・短波のアナール学派の視点で日記を読む▼暑中見舞い。毎年変わらない方のお名前に安堵の一方、鬼籍に入られ消えたお名前に時の流れを思う。(大国)

巻頭言
 突然の訃報に言葉を失った。神戸空襲を記録する会の前代表、中田政子さんが、六月二十六日に亡くなった。七五歳。誤嚥性肺炎で入院、回復途中に容体が急変したという。神戸空襲を記録する会は、神戸史学会の中心的なメンバーだった君本昌久さんが創立。史学会とともに歩んできた。君本さんのあとを受け継いだのが中田さん。身ごもった母が空襲に遭い、姉は爆風でなくなったのに、母は奇跡的に生き残った。語り継ぐことに使命を感じ行政もできなかった空襲犠牲者の名簿作りを行い、慰霊碑を建立した。野坂昭如の作品の現場を歩く「火垂るの墓を歩く会」には、発足当時から、全面的に協力、ウォークや学習企画に取り組んできた。空襲を記録する会の全国大会を二度招致、記録を残すことのお手伝いをしたことが、昨日のことのよう。忘れません。あなたのこと、空襲のこと。(大国)

 

2021年6月 8日 (火)

『歴史と神戸』346号を発行しました

60巻3号/歴史と神戸/もくじ
特集・ひょうごの中世への視線
【史料紹介】
文明十五年卯月三日馬太夫等連署証文………………田中 隆次(2)
   ―播磨国美嚢郡の中世村落における一水利慣行―
近世以前の鵯越は烏原を経由していたのか…………田畑 豪一(9)
源満仲の多田進出と寺社勢力…………………………渋谷 武弘(14)
   ―摂津国河辺郡域の変化を考える―
高砂と淡路の梶原景時子孫の盛衰……………………北山  學(23)
  ―源頼朝側近の滅亡後も地方に生きた系譜―
兵庫県西国街道一里塚(八)―神戸市兵庫区湊川―………中村 和男(30)
【地域から】佐用郡地域史研究会の活動について
水害の危機を逆手に大学と連携し飛躍………………竹本 敬市(33)
地域歴史資料継承領域第3回研究会
「統合型」博物館と住民参画―阪神間の事例―………………………(49)
神戸史学会賞・落合重信記念賞の公募と暑中見舞い広告のお願い…………………(1)
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新聞地域版(13、46)  受贈図書(8) 新入会員紹介(32) 
表紙・藤田年男

 

巻頭言

 とうとう「歴史と神戸」も六〇巻目である。一九七二年に創刊して六〇年目の節目に当たる。ついこの間五〇周年を迎え、半世紀の歩みをまとめたばかりなのだが…。社会人になって間もないころ、神戸市立中央図書館の職場にいた落合重信さんを尋ねて会員になり投稿を始めた。角川地名辞典の分担執筆を頼まれたころから委員になり、落合さんや有井基さん、大村卓弘さんらに育てられ、事務所で理想を語っていたころが懐かしい。あれから四〇年近く。高齢会員の退会が止まらない。どこの学会もそうである。でもこのところ、コンスタントに投稿がある。学界と市民の架け橋をめざす神戸史学会に期待し、活動の場を求める市民研究者の底堅いニーズを感じる。なんとか応えたい。「難しい」「敷居が高い」などと言わず、文化を支える支援者として会員を続けていただけないかと願う。

 

編集後記

 今回は中世史を様々な史料を使って掘り起こす原稿がそろった。田中隆次さんは約三〇年も暖めた習作。三木市内唯一の中世史料を現地踏査などを重ねて丁寧に読み解いた▼田畑さんは近世初頭の史料を使って中世の現況を推測し、渋谷さんは多田源氏の祖源満仲の北摂への進出の背景に寺社勢力を見る。北山さんは源頼朝の側近ながら滅ぼされた梶原景時の子孫が、高砂と淡路に勢力を保ち、戦国を生きたという、余り知られていない事実を紹介する▼竹本さんは佐用郡地域史研究会の輝かしい活動を紹介。神戸大学大学院の地域連携センターのサポートは大きいが、それを受ける地域の土俵づくりには脱帽である。中村さんの一里塚の場所探しはもっと続けて欲しい▼博物館・文書館・美術館を併せた「統合型博物館」は何をもたらすのか。コスト削減が狙いにあるのは否めないが、逆手に新たな境地をどう切り開けるか。七月四日にオンライン研究会を公開で開催する(大国)

 

 

 

2021年5月 9日 (日)

『歴史と神戸』345号を発行しました

60巻2号/歴史と神戸/もくじ
特集・城郭画家荻原一青 波乱の人生と業績
城郭画家・荻原一青の事績と生涯……………………辻川  敦(1)
荻原一青の描く城郭の形象とデザインの特性について
            ……………………………堀田 浩之(16)
荻原一青氏の評価と回顧………………………………中井  均(31)
昭和四十年代、城郭研究家絵師荻原先生を回顧……富原 道晴(40)
コラム 荻原一青が描いた近代地図1・2
明治十八年の尼崎城址・大正六年の尼崎城址………大国 正美(15、48)
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新聞地域版(29)  新入会員紹介(29) 
表紙・藤田年男

編集後記 今回は知る人ぞ知る城郭画家荻原一青の顕彰特集である。尼崎市立歴史博物館の辻川敦さんの提案で、一〇年近く前に構想。いったん作品を撮影したが、画像にゆがみなどがあり見送った。今回あまがさきアーカイブズから画像提供をいただき、ようやく実現した。所蔵している娘の加藤美弥子さん、鳥瞰図の大半を展示している熱海城・城郭博物館から掲載の快諾をいただいた▼荻原一青の鳥瞰図は何度か出版され、ファンにはよく知られた存在になりつつある。しかしその苦難の人生、それでも城に寄せた情熱や後進に与えた影響の大きさ、デザイン性の高さなどはあまり知られておらず、今回はそこに光を当てた▼荻原一青の城郭画の魅力は鳥瞰図に集約されている。しかしそれを描くために地図や平面図、立面図なども丹念に筆写している。そうした下作業の積み重ねはあまり知られていない。編集子もコラムの形で紹介した。第二弾では個別城郭を取りあげる(大国) 

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荻原一青「明治18年頃の尼崎城址」

(加藤美弥子氏蔵、画像提供・あまがさきアーカイブ)

2021年2月20日 (土)

『歴史と神戸』344号を発行しました

60巻1号/歴史と神戸/もくじ
特集・宿駅と鉄道のひょうご史
明治初期における宿駅制度の改廃と地域社会………井上 綾花(1)
   ―兵庫宿駅と宿駅人足を中心に―
開業の頃の官設鉄道神戸駅……………………………髙橋 健司(17)
 ◆「鉄道開通時に阪神間にできた土木構造物」(三二九号)訂正……………(30)
有馬軽便鉄道史…………………………………………阪下 博也(31)
篠山口駅列車事故の真実………………………………玉木 雄三(37)
  ―女性教諭の死をめぐって―
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一ノ谷合戦話の虚実……………………………………渋谷 武弘(41)
  ―延慶本『平家物語』一ノ谷合戦話の創作性(続)―

【地域から】尼崎藩『岡本家大庄屋日記』五〇冊を解読出版
市民主体で推進した研究会の成果……………………岸添 和義(46)会計報告………………………………………………………………(49)
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新聞地域版(40)  新入会員紹介(29) 表紙の言葉(45)
表紙・藤田年男


編集後記 今回は幕末から近代にかけての兵庫の交通史の特集にした。井上さんは明治政府の政策と兵庫津の宿場の状況、兵庫陸運会社の設立を日記から掘り起こす。昨年の卒論報告会で発表する予定だったが新型コロナで流れた。せめて誌上で▼髙橋さんはあまり知られていない神戸駅の明治初期のころの様子を珍しい写真で紹介。神戸は開港場だったので、内外から注目された。まだまだ珍しい写真は残っている▼坂下さんは大正から昭和戦前まで走っていた有馬軽便鐡道―国鉄有馬線の歴史を軽妙に。珍しい駅舎の切り絵や絵画も披露し、長年コツコツと蓄積したことが分かる。玉木さんは母校の教師の列車事故の隠された原因を追う。ショート推理小説もどきだ▼渋谷さんは前稿に続いて「延慶本平家物語」の虚構性をさらに補足する▼岸添さんには「岡本家大庄屋日記」翻刻の経緯をまとめてもらった。発起人なのに投げ出してしまったのに、よくぞ続けていただいた。感謝(大国)

 

2021年1月23日 (土)

2021年卒論報告会は3月7日11時から、報告内容決定

15地域史卒論報告会のお知らせ

 歴史資料ネットワークと神戸史学会は、毎年地域史卒論報告会を企画しています。これは、卒業後に就職する学生たちが、神戸・阪神間の地域史をテーマにした卒業論文を報告する会です。昨年は新型コロナウィルスのため開催できなかったので、今年はZoomミーティングを使ったオンラインで開催します。「史料ネット」のホームページに、卒論報告会の案内ページを設けます。

http://siryo-net.jp/event/15th-thesis-briefing-session/

参加希望者はこのページをクリックして申し込んでください。招待メールを送ります。レジメもここにアップロードします。

日程は3月7日(日)午前10時50分開始予定です。

【開会】
10:50~開会あいさつ
【第1部】
11:00~12:00 報告① 前田史佳氏(大阪教育大学)
 「1920年代大阪における社会事業の社会的意義と限界性―在阪朝鮮人問題の事例から―」
12:10~13:10 報告② 古谷優周氏(大阪市立大)
 「幕末期の泉州一橋領知における御用請負体制について」
【休憩】13:10~14:00
【第2部】
14:00~15:00 報告③ 大場智香子氏(神戸大学)
 「近世後期の芸能興行と農村社会―播磨国多可郡奥畑村の芝居を事例として―」
15:10~16:10 報告④ 高橋玄氏(大阪大学)
 「大正・昭和初期における郡農会の実態ー京都府熊野郡を中心としてー」
当日は午前10時30分から接続が可能です。
事前に史料ネットのホームページから申し込んでください。

問い合わせは080・6130・2624。

2021年1月15日 (金)

『歴史と神戸』343号を発行しました

59巻6号/歴史と神戸/もくじ
特集・特集 古代渡来人・秦氏研究の最前線と地域社会
文献史料から見た播磨の秦氏………………………古市  晃(1)
考古学からみた播磨の渡来人と秦氏………………中久保辰夫(14)
旧赤穂郡における「秦氏」……………………………山中 良平(26)
揖保郡少宅里の秦氏…………………………………岸本 道昭(36)
【地域から】「秦氏を学ぶ会」の活動
 ゆかりの神社マップ作り目標に……………………宮﨑 素一(40)
秦氏伝承の学びの機運生んだ能楽…………………西田美惠子(44)
菊川兼男氏が逝去…………………………………………………(49)
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新聞地域版(13、35、49)  新入会員紹介(49)
表紙・藤田年男

巻頭言
 落合重信さんがやり残した『兵庫県小字名集 神戸・阪神間編』の刊行に向けて、最後の点検をしている。振り返れば平成三年(一九九一)の『東播磨編』に始まり、『但馬編』(平成四年)、『西播磨編』(平成六年)、『丹波編』(平成六年)を落合さん自身が刊行。亡くなったあと『淡路編』(平成八年)を発行し、『神戸・阪神間編』で完結する。なんと丸三〇年にまたがる長期事業になった。この事業が続けられたのは、落合さんの親友で史学会賛助会員の井浪昭幸神戸共同印刷社長のおかげ。ただ最後の難関の「読み方」の索引に苦悩している。資料によって読み方が違い、時代とともに変わる。落合さんが使った元資料を発見したが、その元資料にも疑わしい点がある。長いトンネルはまだ少し続く。発刊する前にこんな巻頭言を書くのも途中で投げ出せないよう、自らを追い込むため。とにかく前へ。

編集後記 今回は地域委員の岸本さんの企画で古代の渡来人、秦氏の特集を組んだ。研究の最前線を考古学、文献史学の両方の観点で捉えるとともに、秦氏に学びまた能楽を使ってユニークな盛り上げをしている、「秦氏を学ぶ会」を紹介。学術的ながら平易。岸本さんの人選のよさに加えて、「学ぶ会」の宮﨑さんや西田さんの報告に地元の熱量を感じた▼古市さんは播磨の秦氏が吉備東部の秦氏と密接に関連しつつ活動していた可能性を指摘。中久保さんは秦氏が六世紀の中央政権で蔵の出納、農地開発、鉱業、営繕、交易等などに関与し台頭したことを考古史料から解明。山中さんは、秦氏は六世紀末から七世紀初頭に赤穂郡に出現し、七世紀代に定着して地域開発に従事し、後世に秦氏を名乗るとする。岸本さんは揖保郡少宅里に二つの渡来系氏族の姿を見いだす▼神戸史学会賞受賞者がまた一人他界。地域史研究を創りだしてきた先駆者たちから、受け継ぎ次代へ伝える重責を想う(大国)

 

2020年10月 6日 (火)

『歴史と神戸』342号を発行しました

59巻5号/歴史と神戸/もくじ

特集・史料で読み解くひょうご近世史

幕末期の大坂湾防禦と淡路島…………………………………廣田 晋也(1)

 ―台場と人工湊の築造に向けて―

明石で諸道を究めた宮本武蔵…………………………………濵田 昭生(14)

兵庫県西国街道一里塚(七)―相生市陸―………………中村 和男(28)

寛延二年姫路藩百姓一揆 『播姫太平記』の世界……歌井 昭夫(34)

残暑見舞い申し上げます…………………………………………(49) 

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新聞地域版(33、49) 受贈図書(13、27) 新入会員紹介(49) 表紙・藤田年男

 

巻頭言

 若林泰さんが収集した史料のうち神戸市灘区篠原村と北区の有野村の史料をこのたび奥様の了解を得て神戸市文書館に寄贈した。若林さんは灘地方の中世以来の名家若林家に生まれ、幼いころから歴史研究に関心を持った。灘高校時代に古文書を解読し「灘文化」という雑誌を発行。関学で大学院に進み家業の酒造業は継がず、宝塚市史編集室に勤めた。しかし一九八五年五十六歳の若さで病死。「偲ぶ会」を作り遺作を集めて三回忌に『灘・神戸地方史の研究』という著作集を刊行した。集めた史料は我々がボランティアで整理をしてきたがそれぞれきちんと保存活用してもらえる組織に寄贈している。すでに藩札・私札は黒川古文化研究所に、近代の海運関係や近世の村方文書などは神戸大学附属図書館に。そしてこのたびの神戸市文書館への寄贈となった。最後に整理の経過をまとめ公表したい。

編集後記

 今回は近世史を原史料から積み上げる形で組み立てた論考を集めた。廣田さんは淡路の出身。会社勤めをしながら家蔵古文書を読み込み、海防に果たした村役人たちの動きを明らかにした。いつの世も国を守るため民衆が動員される▼宮本武蔵の研究家の濵田さんは、明石時代に武蔵が諸道に通じ、「五輪書」の最後の巻を練り上げたとみる。武蔵は明石で都市計画や庭づくりをしたとされている。剣豪らしからぬ振る舞いに問題意識を持って、出会いの幅広さに思いを寄せる。残念ながら史料に乏しく推論にとどまるが、「五輪書」の読み方の幅を広げた▼歌井さんは解読した『播姫太平記』について、先行している同種文献との違いを明らかにしつつ一揆の全容を示す。全藩一揆と呼ばれるもので改めて一揆の規模の大きさが窺える▼一里塚の場所を丹念に解明し続けた中村さんの連載が終了した。最後は西国街道が付け替えられたとの興味深い内容になった。もっと読みたい。(大国)

 

 

 

2020年7月28日 (火)

『歴史と神戸』341号を発行しました

59巻4号/歴史と神戸/もくじ
特集・知られざる六甲山の開発史
六甲山の天然氷………………………………………中村 三佳(1)
六甲山郵便局の100年 ……………………………前田 康男(13)
100年前の六甲山での天幕生活……………………森地 一夫(26)
 ―キャンピングの始まりと展開―
六甲山上のヴォーリズ建築の魅力…………………山﨑 富美子(40)
 ―関学・小寺敬一が果たした役割―
宮崎修二朗翁と野田興風図書館……………………今村 欣史(49)
「火垂るの墓」記念碑 除幕式次第
             …記念碑委員会 事務局 二宮 一郎(53)
  ―委員会発足二年半経て記念碑建立―                         
永田實参与が逝去………………………………………………………(52)
暑中見舞い申し上げます…………………………………………(54) 
新聞地域版(25) 新入会員紹介(25)
表紙・藤田年男
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神戸ゴルフ倶楽部のクラブハウス
神戸ゴルフ倶楽部はグルームによって開かれた日本のゴルフ発祥の地。クラブハウスは、小寺敬一の働きかけによって、ヴォーリズが設計、1932年(昭和7)に建て替えられた。その傍らに建てたのがヴォーリズ設計による小寺の別荘(現:ヴォーリズ六甲山荘)である(本文46ページ参照)。

編集後記 今回は前田康男さんと渋谷武弘委員のお世話で六甲山に関する魅力的な論考四本が集まった。中村さんの六甲山の氷の話は文句なくおもしろい。天然氷と人造氷の違い、産地の差、労働の大変さ…知らなかったことばかり。六甲山が開発される前から山上は活況を呈していた▼前田さんの論考は六甲山の上という特殊な環境の中で郵便がどのように維持されたのかという観点で興味深い。森地さんはキャンプが組織的に広がるプロセスを明らかに。当時の日記の発見は貴重▼山上にあるヴォーリズの建物の魅力を山﨑さんが語る。建物は外観に焦点が当たりがちだが、内部の意匠も魅力。「火垂るの墓」の碑が建立された。その活力に脱帽▼神戸史学会受賞者の鬼籍入りが相次ぐ。落合時代から中心メンバーだった永田さんが「あきらめない」と胸に響く言葉を残して旅立った。がんばっているのに飄々としているところが永田さんらしかった。宮崎さんともどもご冥福をお祈りする(大国)

 

2020年5月21日 (木)

『歴史と神戸』340号を発行しました

59巻3号/歴史と神戸/もくじ
特集・一ノ谷の合戦の再検討
延慶本『平家物語』一ノ谷合戦話の創作性………渋谷 武弘(3)
 ―鵯越の地理的矛盾について―
『吾妻鏡』生田の森・一の谷合戦記事の再検討…田畑 豪一(12)
須磨・一ノ谷にはなかった鵯越……………………羽床 正明(24)
 ―脚色された平家攻略の逆落とし―
賀茂別雷神社と網干…………………………………柳生 勝志(33)
兵庫県西国街道一里塚(六)―姫路市・姫路城下―……中村 和男(51)
宮崎修二朗翁と落合重信師のこと…………………今村 欣史(54)
宮崎修二朗前神戸史学会代表が逝去…………………………………………(53)
編集部から―宮崎さんが遺した「神戸史学会」誕生前夜のメモ………………(56)
宿南保氏が逝去……………………………………………………………(23)
神戸史学会賞・落合重信記念賞の公募と暑中見舞い広告のお願い
………………(1) 
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新入会員紹介(32)
表紙・藤田年男


巻頭言
 宮崎修二朗さんと宿南保さんが相次いで亡くなった。ともに神戸史学会賞受賞者。改めてご冥福をお祈りしたい。
 宮崎さんは代表代行だった有井基さんの発案で神戸史学会代表になっていただいた。その有井さんに神戸新聞への入社を勧め、そして弔辞を読んだのも宮崎さん。なんとも奇しき縁である。賞の嫌いな宮崎さんを説得して兵庫県文化賞を受賞したが金一封がなく、受賞式のあと「財政のたしにと思って受賞を決意したが浅はかだった」と真剣に悔やまれ、委員一同爆笑すると同時に気骨を垣間見た。
 宿南さんとは一九九八年発行の農文協『江戸時代 人づくり風土記』の編集以来のお付き合いだった。新聞記者と歴史研究の二足の草鞋を履く編集子を同一人物と信じてもらえず苦笑い。風貌とは裏腹に、饒舌、賑やかで楽天的な話しぶり。慕われた歴史家だった。

編集後記 一ノ谷の合戦についての三本の論文がそろった。渋谷さんは、最も古い形態を残すと言われながら、これまで地元ではあまり検討されてこなかった延慶本「平家物語」をテキストに、生田の森から一ノ谷までの戦闘が、一ノ谷での義経の戦いにデフォルメされたとみる▼田畑さんは、『吾妻鏡』が『平家物語』に依拠したという昨今話題の学説を批判。一ノ谷攻めに参加した中原親能の報告を土台に『吾妻鏡』が編纂されたゆえに、地理的にゆがんだとする▼羽床さんは「越」という地名は峠の別称で鵯越は兵庫区にあり、一ノ谷の攻撃ルートを馬で駆け下りられる緩やかなコースを提示。鵯越の位置では共通した結論▼柳生さんは学生時代歴史学を学び、民間企業を退職後、歴史をやろうと思い立ち、史料を読み直したという。シルバー史家さん、もっと来たれ▼神戸史学会受賞者の鬼籍入りが相次ぐ。後継を発掘するためにも神戸史学会賞・落合重信記念賞の応募を待つ(大国)

 

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