『歴史と神戸』349号を発行しました
60巻6号/歴史と神戸/もくじ
特集 近代都市・神戸の楽しみと陰
ハイキングの普及と六甲山……………………………森地 一夫(1)
近代日本最初のコレラ大流行で奮闘
兵庫県の検疫医・桑原高美の経歴と殉職……………山本ゆかり(19)
「みなとの祭」の創始に関する一考察………………𠮷田 隼人(35)
今里幾次さんの第三論文集を刊行……………………岸本 道昭(46)
――――――――――――――――――――――――――――――
新聞地域版を読む(49) 受贈図書紹介(45) 新入会員紹介(18)
表紙・藤田年男
巻頭言
三十年におよぶ地元の熱意が実った。兵庫区の県立兵庫津ミュージアム。古代以来の歴史を明らかにし、地域活性化につながる施設を地元が行政に要望したのは平成三年だ。大輪田の泊として古代の湊として栄えて以降、歴史の表舞台として日本史への足跡を残してきた。しかし一九四五年の空襲で焼けの原となり、戦後は神戸の中心は東へ動いた。地元の要望を受け、震災を乗り越え兵庫県や神戸市が検討会議を設け、断続しながら検討を進めてきた。成案を得た直後に兵庫県の行革で頓挫したが、井戸敏三前知事の肝いりで復活した。映画のロケにも使える本物志向の初代県庁館では、バーチャルで、幕府最後の兵庫奉行柴田剛中らと出会う体験もできる。建設中の展示施設では、委員としての私の意見も取り入れてもらった。市町との連携も提言している。歴史文化の継承の場にと願う。(大国)
編集後記
近代の神戸の楽しみの祭り、レクリエーション、病気を、都市の光と陰の両面として特集した▼六甲山の登山が近代に外国人によって開拓されたことはよく知られているが、ハイキングの普及は盲点だった。森地さんは豊富な資料で解き明かす▼山本ゆかりさんはひょんなことから入手した明治初期の医事史料を紹介。明治十年から十二年にかけて流行したペストに立ち向かった一人の医師の経歴と取り組みを明らかにする。未知の病の新型コロナに立ち向かう現代の医師と重なり合う▼神戸の楽しみといえば新たに創られた「神戸まつり」。その前身「みなとの祭」は、米国の先行事例を参考に黒瀬弘志神戸市長の主導で始まったというのが定説。??田隼人さんは当時の文献を当たり疑問を呈する▼神戸史学会賞受賞者の今里幾次さんの第三論文集が、有志の手でまとまった。銀行員を本業にしながらの深い研究は我々の目標だった。そのエピソードを岸本道昭さんがまとめた。(大国)
« 播磨・淡路の城郭絵図特集ー『歴史と神戸』348号を発行しました | トップページ | 3月13日、第16回 地域史卒論報告会をオンラインで開催します »